“破竹の快進撃”隠ぺい・捏造…なぜウソは膨れ上がったのか 映像は戦争をどう伝えた【報道ステーション】(2025年8月15日)

太平洋戦争以来戦い を有利に進めてきた日本。 それを一変させたのが1942年6月の ミッド回線です。 大本Aは戦下を花しく発表しました。 空母2隻激沈我が2空母1循環に損害 太平洋の選挙この1戦に決す 事実は日本の大敗北 戦頭に参加した空母4隻は全滅し多くの 熟連パイロットを一気に失いました。 ミッドウェイ回線は選挙を大きく変えるともに軍とメディアが一体となって国民に嘘をつくきっかけとなりました。 [音楽] 最も戦争のニュースを唯一映像で伝えていた日本ニュースは一切報じていません。空母が沈没し、フィルムが失われたこともあり、なかったことにしたのです。 その沈黙を破ったのが8月に勃発した ソロモン回線。 勢力範囲を広げていった日本がソロモン 諸島ガダルカナル島の飛行場を巡り アメリカと激突した戦いです。 損害の隠蔽と戦下の水増しが始まりました 。 ソ線の全期間を通じて激墜せる敵幹線 65隻キは実に 800機に及んでここに敵 A総反の夢は虚しく破れ去ったのであります。 確かにソロモン線の初期の頃には日本がアメリカを打ち任しています。 ですが、最終的には当時の主力艦である戦艦を [音楽] 2隻も沈められた上、 またしても多くの航空機とパイロットを失い、日本の戦力が大きくがれた戦いでした。そして回線から 1年。 [音楽] 帝国無敵海軍木曜に土曜 にはたまた太平洋に永遠激滅の陣を執と すでに1年全翔兵のは人得る 映像の中では以前八句の開進劇を続けてい ました。 ただこの頃になると国内では多くの人が 苦しい生活を強いられるようになります。 そんな国民をコするのも日本ニュースの 役割でした。 戦い抜け大東亜戦争決戦第 [音楽] 2年目町まちにベイエイ戦い第 [音楽] 2 年をも必勝の新年持て勝ち抜かとする決意になってこの日とは完激の留母と貸す [音楽] 天皇陛下バ 明けて1943 アリシャンレ島の西の橋に位置する アメリカ量あ島で守備隊が全滅します。 さすがの軍部も全滅までは隠し通せません でした。 [音楽] その慰例式を伝えるニュース ある言葉が使われました。公衛の軍部隊 2500夜柱の英 にト列する市民咳として超えなく誓って い列受けが決意に縮前として入りを晒らす 中を合造祭式 に祝しくと進む 北の果て連線圧に全員玉砕を遂げ賢国も玉 玉が美しく砕ける ように潔ぎよく死ぬという意味です。 悪れば29日 大本衛の失作によって最後は万歳突撃で命を落とした兵士たち それを玉砕という言葉によって美化し真相をうやむやにしたのです。 以降太平洋の各地では玉が繰り返されるようになりました。 [音楽] こうして兵力が失われていった日本は国の 将来を担う学生までも戦場に送ることを 決めます。 学と出人です。 [音楽] 北め煙明治神宮外園競議場全日本学が 他年議を練り義ったこの正域に10月21 日朝人 学走行の式点小坂に行さる 岡部分城 学隊 が奏る分裂更新局に合 雨の神宮外を進む2万5000人の学生。 いましいナレーションとは裏腹に映像から はどこか物がしい雰囲気も伝わってきます 。 戦後政作者の1人はこう証言しています。 学と出人を一言で言うならまさしく悲想 です。 もはや精神論では通じやしないんだという ことを何とか知ってもらいたい。それが私 の本位だったんです。 1人の学生の後ろ姿を帽子から足元まで 長くパンダウンするシーン。場首相の演説 を被せたのは 悲想官を盛り立てるために意図的 にしたもなんです。においても必ずやの第 1 時の総理 東秀のいいましい言葉と ボロボロの靴から 軍の検越が厳しさを増すの精一杯の戦争批判でした。 [拍手] しかし翌年日本ニュースは後に正規の第 [音楽] 5 法と言われる大本映発表をそのまま伝えます。戦の [音楽] 1944年10 月に勃発した台湾空戦。台湾に攻撃を仕掛けたアメリカを陸海軍の航空部隊が迎え打った戦いです。 [音楽] その戦下 大本英発表我が部隊は関起動部隊を猛行しその過半の兵力を壊滅してこれを回層説明金 [音楽] 航空間官 11隻間 水内にあ 信じた国民は大勝利に湧きました。 何セ空母を11隻も沈めているのです。 事実であればアメリカの空母部隊は壊滅しています。 [拍手] [音楽] 実際は日本の拝後にアメリカはこの戦いで空母も戦艦も一隻とも失っていなかったことが判明しています。 限りなき輝爽やかしさである。 さらにその後のレテオ回線史上最大の回線とも言われ帝国海軍が事実上壊滅した戦いです。もはや嘘をついているという感覚すらも麻痺したのか。日本ニュースの内容はめちゃくちゃでした。 [音楽] 劇団により我が飛行板に損害を葬る彼度戦の中に消化成功。戦闘継続 [音楽] 映像は空母追方の後もなく沈没しています。 死を恐れぬ我が関西は実によく戦って帰ってきた。 階への着干諦めて感の肩へ着水するほどの頑張り方でした。カッターを下ろし [音楽] これも嘘の業は 空母が沈没し降りられる場所がなかったのです。 [音楽] 一方の時期増えていったのが国内の話題です。 隊に参加できる。 絶望的な戦いが続く前線からは徐々にフィルムが届かなくなり 戦下を捏造するにも限界がありました。 多くを閉めたのは女性や子供に対する戦争協力への呼びかけです。 [音楽] 落下飛行機願 電波兵器どんな兵器でもどんな武器でも 女性の手でやってやれないものはない。 未だ知り込みする一部の女性や不刑はこの 機械に十分反省するとにアメリカ兵の武器 の大半が国女性の手になっていることを 思うべきでありましょう。 都会、都会もまた戦力である。 [音楽] お父さん、お母さん、元気いっぱいに勉強してきます。みんな悲しくはない。ふんと勉強しよう。それが国人に尽くす道であり、親にはこの道となる。 そしていよいよ行き詰まった日本がたどり着いたのが 死ぬことを前提とした上風特攻隊でした。 心静かに。 初めて報じられたのはこの 232号。 領優に背後の別れを告げる勇士たちは商用としてむしろ師匠を得たる喜びに燃えていた。上風特別攻撃隊の市者は陸族としてを立たつという感なき発の時は来た。長い長い見送りのである。 [音楽] 俺も続くぞ成功を祈る。共有の無言の炎を 受けて飛び出した。 有の最に順次中烈乱性にる出人である。 [音楽] これがその後の日本ニュースをさらに歪め ました。 第232号が国民の間に複雑で異常な興奮 を巻き起こし少年を中心とする純粋な国民 の間に関を流させるのを見てとった軍は 特攻隊ニュースの利用に力を入れこれに 抵抗して日当事者が淡々たるコメントを 淡々とアナウンサーに喋らせるとって国民 を泣かせろと要求し気合いなコメントを 干渉的にアナウンスさせようと録音の やり直しを命じた。戦争の真少以外の何者 でもなかった。 日本ニュースはこの後終選までの間に22 作が作られうち13作に関する内容が含ま れています。 1期また1期立ず特別攻撃隊 今一戦の若がき立海軍の翔平は人中の2次 を抱いて赤人の真った中へ強打つべき我ら 一億今こそ特別攻撃隊の精神を対し戦力の 増強航空機増産にただ視力を尽くしてある のみ 特攻兵 のもでっが結夢中ではだめだな。自分はであります。大臣の場に共にていくことを無常の防衛と感してます。 [音楽] [笑い] [音楽] 特に国内外で多くの市民が戦争に巻き込まれ犠牲となったことは極めて歪んだ形で伝えられました。 大いなる怒りに燃えず東京大き上がった。 我々はこの現実を食し勇気 100 倍助ける人も助けられる人も不思議なほど明るい顔を輝かしていた。 日本にはこの先抽選までの期間沖縄での壮絶な地上戦のことも広島の原爆のことも出てきません。 私たちがよく知る戦争末期の映像の多くはアメリカが撮影したもの。国民は実態を知らされないまを迎えました。 [音楽] なぜ嘘はここまで膨れ上がったのか。政作 者はこんな言葉を残しています。 [音楽] 1つ1つは大したことない。どっちでも いいんじゃないかと思っているうちに気が ついてみたらどうにもならなくなっている 。1つ1つの小さなことの積み重ねで 変わってくるんだ。 この従なメディアというものがその国に とっていかに使い勝手が良くてで、しかも いかに絶大な力を発揮するかというのが よく分かりましたし、ま、戦争のように それが間違った方向性である場合はそれは なおさらですよね。あの、ま、心ならずと はいえ国メディアの罪深さというものを 思いました。で、私たちは決してその鉄を 踏んではならないという気持ちを新たにさ せられました。 ま、その国策によって国民感情というものがこう意図的に形成されていく様子っていうのをまざまずと 今VTR で見せつけられたなって思いですし、ま、改めてそのメディアの責任の、ま、大きさっていうのを本当に通感しまし。 そうです。 あの、可能さんのどちらでもいいんだっていうのが積み重なるともう大変なことになるんだっていう言葉はもう今まさに世界で起きている戦争にも今言えることなのかもしれないですし、あの、だからこそ人の死や痛みというものに麻痺してはいけないんだということを強く思いますね。 はい。そうですね。え、終戦から 80 年番組では、あ、記憶が歴史になる前にというテーマで様々な角度から、あ、昭和の戦争を検証していきました。 え、こんなはずではなかったと思いながら 巻き込まれていくのが戦争であるとすれば 、やはり同じ人間である以上、今の私たち にもきても不思議ではないことです。ま、 ただこの敗線から立ち上がり戦下を交える ことなく今日まで来た日本はあの戦争を 加害者の側からもそして被害者の側からも 冷静に見つめ直して誇調せずに語ることも できるけな存在でもあります。 え、戦争経験者が少なくなっていく中でもあの戦争を世界に向けて語り継いでいく意義と責任が今を生きる私たちにはあるのだと信じています。 の人後出てくれる。 [音楽] [拍手]

テレビのない時代、唯一、映像で戦争のことを報じていたのが、映画館で上映されていた『日本ニュース』でした。それは国民に何を伝えていたのか。14日は、1941年の真珠湾攻撃から1942年のミッドウェー海戦までを取り上げましたが、2日目の15日は、その先、終戦までをたどります。隠ぺい、水増し、捏造。ウソにウソを重ねていく3年間の記録です。

太平洋戦争開戦以来、戦いを有利に進めてきた日本。それを一変させたのが、1942年6月の『ミッドウェー海戦』です。大本営は、戦果を華々しく発表しました。

朝日新聞(1942年6月11日)
「米空母2隻撃沈。我が2空母に1巡艦に損害。太平洋の戦局、この一戦いに決す」

しかし、事実は、日本の大敗北。戦闘に参加した空母4隻は全滅し、多くの熟練パイロットを一気に失いました。ミッドウェー海戦は、戦局を大きく変えるとともに、軍とメディアが一体となって、国民にウソをつく、きっかけとなりました。

当時、戦争のニュースを、唯一、映像で伝えていた日本ニュースは、一切、報じていません。空母が沈没し、フィルムが失われたこともあり、“なかったこと”にしました。

その沈黙をやぶったのが、8月に勃発したソロモン海戦。勢力範囲を広げていった日本が、ソロモン諸島・ガダルカナル島の飛行場をめぐり、アメリカと激突した戦いです。

■隠ぺいに水増し メディアのウソ

『日本ニュース』126号
「ソロモン海戦の全期間を通じて、撃沈破せる敵艦船65隻、撃墜破せる敵機は実に800機に及んで、ここに敵米英総反攻の夢はむなしく敗れ去ったのであります」

ソロモン海戦の初期のころには、日本がアメリカを打ち負かしています。しかし、最終的には、当時の主力艦である戦艦を2隻も沈められたうえ、またしても多くの航空機とパイロットを失い、日本の戦力が大きくそがれた戦いでした。

そして、開戦から1年。
映像の中では依然、破竹の快進撃を続けていました。

『日本ニュース』130号
「帝国無敵海軍、北洋に、インド洋に、はたまた太平洋に、米英撃滅の陣を敷くこと既に1年、全将兵の意気は火と燃える」

ただ、このころになると、国内では、多くの人が苦しい生活を強いられるようになります。そんな国民を鼓舞するのも、日本ニュースの役割でした。

『日本ニュース』131号
「戦い抜け大東亜戦争。決戦第2年目へ、町々に米英打倒。戦い第2年をも必勝の信念もて、勝ち抜かんとする決意みなぎって、この日、帝都は感激のるつぼと化す」

■“全滅”を“玉砕” 真相うやむや”

1943年、アリューシャン列島の西の端に位置するアメリカ領・アッツ島で、守備隊が全滅します。さすがの軍部も“全滅”までは、隠し通せませんでした。

その慰霊式を伝えるニュースで、ある言葉が使われました。

『日本ニュース』174号
「光栄の軍神部隊、2500余柱の英霊は、沿道に堵列する市民、寂として声なく、誓って遺烈受け継がん決意に粛然として襟を正す中を合同慰霊祭式場に粛々と進む。北辺の果て、前線アッツ島に全員玉砕を遂げ」

“玉砕”。玉が美しく砕けるように潔く死ぬという意味です。

大本営の失策によって、最期は、バンザイ突撃で命を落とした兵士たち。それを“玉砕”という言葉によって美化し、真相をうやむやにしたのです。以降、太平洋の各地では、“玉砕”が繰り返されるようになりました。

こうして兵力が失われていった日本は、国の将来を担う学生までも戦場に送ることを決めます。学徒出陣です。

『日本ニュース』177号
「秋雨、煙る明治神宮外苑競技場。全日本学徒が多年、武技を練り、技を競ったこの聖域に、10月21日朝まだき、出陣学徒壮行の式典、厳かに挙行さる。岡部文相。さらばゆけ学徒」

軍楽隊が奏でる分列行進曲に合わせ、雨の神宮外苑を進む2万5000人の学生。
勇ましいナレーションとは裏腹に、映像からは、どこか物悲しい雰囲気も伝わってきます。

戦後、製作者の1人は、こう証言しています。

日本ニュース製作部長 土屋斉氏
「学徒出陣を一言でいうなら、まさしく『悲愴』です。もはや精神論では、通じやしないんだということを、何とか知ってもらいたい。それが、私の本意だったんです。一人の学生の後姿を、帽子から足元まで長くパンダウンするシーンに東条首相の演説をかぶせたのは、悲愴感をもり立てるために、意図的に編集したものなんです」

時の総理・東条英機の勇ましい言葉と、ボロボロの靴。
軍の検閲が厳しさを増すなかでの、精一杯の戦争批判でした。

■敗北が大勝利に デタラメの報道

しかし、1944年、日本ニュースは、後に“世紀の大誤報”といわれる大本営発表をそのまま伝えます。

1944年10月に勃発した台湾沖航空戦。
台湾に攻撃を仕掛けたアメリカを、陸海軍の航空部隊が迎え撃った戦いです。

『日本ニュース』230号
「大本営発表。我が部隊は、敵機動部隊を猛攻し、その過半の兵力を壊滅して、これを潰走せしめたり。轟撃沈、航空母艦11隻。戦艦2隻」

信じた国民は、大勝利に湧きました。事実であれば、アメリカの空母部隊は壊滅しています。実際は、日本の惨敗。後に、アメリカはこの戦いで、空母も戦艦も1隻たりとも失っていなかったことが判明しています。

さらに、その後のレイテ沖海戦。“史上最大の海戦”とも言われ、帝国海軍が、事実上、壊滅した戦いです。

日本ニュースの内容は滅茶苦茶でした。

『日本ニュース』232号
「敵弾により、我が飛行甲板に損害を被る。されど、激戦のさなかに消火成功。戦闘継続」

映像は空母『瑞鳳』。このあと、間もなく沈没しています。

『日本ニュース』232号
「死を恐れぬ我が艦載機は、実によく戦って帰ってきた。母艦への着艦もあきらめて、僚艦の傍らへ着水するほどの頑張り方であった」

これもウソ。空母が沈没し、降りられる場所がなかったのです。

■戦争遂行へ…女性や子どもも対象

この時期、増えていったのが、国内の話題です。
絶望的な戦いが続く前線からは、徐々にフィルムが届かなくなり、戦果を捏造するにも限界がありました。
多くを占めたのは、女性や子どもに対する戦争協力への呼びかけです。

『日本ニュース』195号
「落下傘・飛行機・弾丸・電波兵器。どんな兵器でも、どんな武器でも、女性の手でやってやれないものはない。いまだ尻込みする一部の女性や父兄は、この機会に、十分、反省するとともに、アメリカ兵の武器の大半が、敵国女性の手になっていることを思うべきでありましょう」

『日本ニュース』213号
「疎開。疎開もまた戦力である。お父さん、お母さん、元気いっぱいに勉強してきます。みんな悲しくはない。うんと勉強しよう。それがお国に尽くす道であり、親には孝の道となる」

■特攻賛美 戦争の“末期症状”

そして、いよいよ行き詰った日本がたどり着いたのが、死ぬことを前提とした“神風特攻隊”でした。初めて報じられたのが232号。

『日本ニュース』232号
「僚友に最後の別れを告げる勇士たちは、従容としてむしろ死所を得たる喜びに燃えていた。神風特別攻撃隊の志願者は、陸続として後を絶たずという。生還なき進発の時は来た。長い長い見送りの列である。俺も続くぞ、成功を祈る。僚友の無言の声援を受けて飛び出した。悠久の大義に殉じ、忠烈、万世に冠たる出陣である

これが、その後の日本ニュースをさらに歪めました。

別冊一億人の昭和史『日本ニュース映画史』
「第232号が国民の間に複雑で異常な興奮を巻き起こし、少年を中心とする純粋な国民の間に感涙を流させるのを見て取った軍は、特攻隊ニュースの利用に力を入れ、これに抵抗して、日映当事者が淡々たるコメントを、淡々とアナウンサーにしゃべらせると、怒って国民を『泣かせろ』と要求し、悲哀なコメントを感傷的にアナウンスさせよと録音のやり直しを命じた。戦争の末期症状以外の何ものでもなかった」

日本ニュースは、このあと終戦までの間に22作が作られますが、このうち13作が特攻に関するものとなりました。

『日本ニュース』241号
「1機、また1機、飛び立つ特別攻撃隊。今、一線の若き陸海軍の将兵は、尽忠の二字を抱いて、敵陣のまっただ中へ。強敵、撃つべし。我ら一億、今こそ特別攻撃隊の精神を体し、戦力の増強、航空機増産にただただ死力を尽くして、挺身あるのみ」

特攻兵は死の間際まで、戦意高揚に使われました。

『日本ニュース』242号(幸軍曹:1945年1月9日戦死)
「自分は幸軍曹であります。大君の御馬前に敵とともに、差し違えて散っていくことを、無上の光栄と感じておる次第であります」

■市民の被害は歪曲…敗戦へ

他方、国内外で多くの市民が、戦争に巻き込まれ、犠牲となったことは、極めて歪んだ形で伝えられました。

例えば、東京大空襲。

『日本ニュース』248号(1945年3月)
「我々は、この現実を直視し、勇気100倍。助ける人も、助けられる人も、不思議なほど明るい顔を輝かせていた」

日本ニュースには、終戦までの期間、沖縄での壮絶な地上戦のことも、広島・長崎の原爆のことも出てきません。私たちがよく知る戦争末期の映像の多くは、アメリカが撮影したもの。国民は実態を知らされないまま、8月15日を迎えました。

■なぜ、ウソはここまで膨れ上がったのか

日本映画社 加納龍一氏(思想の科学 1979年8月号)
「一つ一つはたいしたことない。どっちでもいいんじゃないかと思っているうちに、気が付いてみたら、どうにもならなくなっている。一つ一つの小さなことの積み重ねで変わってくるんだ」
[テレ朝NEWS] https://news.tv-asahi.co.jp

30 Comments

  1. 「英霊」や「玉砕」という言葉も、戦死者をメディア誘導の中で美化した言葉なんですね。いい気になって使う気がしれません。

  2. 朝日新聞が1番酷いメディア。
    当時、嘘を報道するし今も嘘を報道する。ただ違うのは、メディアリテラシーのある国民が増えたこと。

  3. 現在でも、特攻をテーマにした映画が時折作られているが、ほとんどが特攻隊員を凛々しく美化して讃える内容。実際は、正義感や愛国心を利用されて、国や軍に騙されて煽られて、命まで差し出さされた、哀れな人々なのに。「自虐史観」なんて言葉で、大本営がやったことを矮小化して、国民を騙そうとする卑怯な連中の試みは、戦後80年経った今も続いている、という事。そういう連中に、若い世代が取り込まれないためにも、戦時中に軍やメディアによって行われていたこういったウソまみれの戦果報告の実態を、伝え続ける必要がある。

  4. 0:53 ダウト、この際には人的損害は大きくなく、航空機と艦船が失われただけであった。熟練パイロットの消耗が大きくなるのは、この後の南太平洋海戦以降である。この一文だけでもメディアが真実でなく、言いたいことを伝える媒体というのがよくわかりますね。

  5. 一番の嘘は何?
    日本が侵略戦争をしていた事を隠し、国民事態もイケイケだったこと! それが原爆投下の原因😮
    日本が軍を奪われたのは、世界平和の為ですよ!

  6. 隠ぺいに捏造とか今現在での普通にしてるよね。
    数えきれないほど注意されても、学習能力が無いようで
    ほとぼりが冷めたら、また同じ事を繰り返す今日この頃。

  7. 今も変わらないよね。
    ロシアは経済的に疲弊して負けると言ってたのに、むしろ今はロシア有利路線になってるからな笑

  8. この時代の人らがアメリカに国土や国民を蹂躙されてるのを傍らに今の俺はアメリカ人に儲かるアメリカ株を教えて貰ってアーリーリタイア目前ってわけだわすまんな😅

  9. まるで今のメディアには捏造・偏向・虚偽がないかのような言い回しだな 80年経ってさらにひどくなっているんじゃないか

  10. 斎藤知事からパワハラを受けたという被害者の申し出はゼロでした だけどメディアはその重要な事実を報道しません

  11. 令和の今も全く同じ事を、政府じゃなくてマスメディアがやってるね
    ・コロナ禍「ニューヨークの現状が未来の日本です」
    結果→全くのデタラメ
    ・松本サリン事件
    第一通報者を犯人扱いして、連日誹謗中傷
    結果→全くのデタラメで、映画、日本の黒い夏 冤罪のモデルとなる
    ・雲仙普賢岳大火砕流
    報道関係者は最後まで撮影し続けた英雄です
    結果→避難した住人の家に無断侵入してやりたい放題した結果、それを阻止すべく警戒地域に入った警察や消防団員等を巻き込む犠牲を生んだ犯罪者だった事が判明
    挙げたらキリがないね